とりかへばや物語は、平安時代後期に成立したと考えられる王朝物語です。女の子と男の子のきょうだいが、それぞれ本来とは逆の性別のように育てられ、男君は女として、女君は男として宮廷社会を生きていくという、きわめて大胆な設定で知られています。
ただ、この作品の面白さは「男女が入れ替わる奇抜な話」というだけではありません。宮廷の恋愛、結婚、出産、昇進といった王朝物語の定番を使いながら、「男らしさ」「女らしさ」とは何かを物語そのもので問い直しているところに大きな特徴があります。
作者は未詳で、成立は11世紀後半から12世紀ごろと考えられています。現存する本文は全4巻で、物語の後半には入れ替わりの秘密がしだいに重くなり、単なる趣向では済まない緊張が生まれます。ここでは、作品の全体像、作者、成立背景、冒頭、内容、代表場面、読みどころを順に整理します。
とりかへばや物語は男女の役割を入れ替えて進む異色の王朝物語です
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 作品名 | とりかへばや物語 |
| ジャンル | 王朝物語 |
| 作者 | 未詳 |
| 成立時期 | 平安時代後期、11世紀後半から12世紀ごろと考えられています |
| 巻数 | 現存4巻 |
| 主な登場人物 | 男君、女君、四の君、宰相中将など |
| 物語の核 | 男女のきょうだいが社会的な性役割を入れ替えて生きること |
| 大きな特徴 | 王朝恋愛を描きながら、性別と身分のあり方を揺さぶる点 |
とりかへばや物語をひとことで言えば、宮廷社会の中で男女の役割を入れ替えて生きたきょうだいの物語です。設定だけ見ると珍しい趣向の作品ですが、実際にはその設定が宮廷社会の仕組み全体を照らし出します。
男として振る舞う女君は出仕し、恋愛や昇進の世界に入ります。一方、女として暮らす男君は、女性として愛され、結婚や懐妊をめぐる不安を背負います。この二重のずれが、物語の最初から最後まで続く緊張を生みます。
とりかへばや物語の作者は未詳だが、王朝物語に通じた筆と考えられる
とりかへばや物語の作者はわかっていません。ただ、単に奇抜な設定を思いついた人ではなく、王朝物語の型を深く理解した書き手だったことは、本文の運びからよくわかります。
というのも、この作品は変わった設定に頼るだけで話を進めていません。和歌のやり取り、出仕の作法、身分秩序、結婚のあり方など、宮廷物語の細部をしっかり踏まえたうえで、その仕組みを逆転させています。王朝文学の約束を知り尽くしていないと、こうした構成は成り立ちません。
また、現存本のほかに、より古い形の「古本」があったと考えられており、今伝わる本文はその改作本とみる説が有力です。作者個人の名は不明でも、作品が長く読み継がれ、手を入れられるだけの魅力を持っていたことは確かです。
その意味で、とりかへばや物語は、源氏物語のような本格的な王朝物語の伝統を受け継ぎつつ、その内部に強い実験性を持ち込んだ作品だと言えます。
とりかへばや物語が生まれた背景には王朝社会の性別秩序がある

平安時代の宮廷社会では、男女の役割はかなりはっきり分かれていました。男性は公的な世界で官職に就き、女性は邸にいて結婚や出産を中心に生きるのが基本です。
とりかへばや物語は、その秩序をあえて逆にしてみせます。女君は男として外の世界へ出ていき、男君は女として内の世界に置かれます。すると、それまで当たり前に見えていた宮廷の仕組みが、急に不安定なものとして見えてきます。
つまりこの作品は、ただ「入れ替わり」を楽しむ物語ではなく、王朝社会そのものを映す鏡でもあります。今鏡のような歴史物語が王朝秩序を穏やかに振り返るのに対し、とりかへばや物語はその秩序の内側から揺れを見せる王朝物語だと言えます。
冒頭は女の子と男の子のきょうだいが逆の性で育つ設定から始まる
とりかへばや物語の冒頭では、左大臣家に生まれた女の子と男の子のきょうだいが、それぞれ本来の性別とは逆の性質を持つ者として描かれます。男の子は内気で女性的、女の子は活発で男性的であり、周囲もそれに合わせるように育ててしまいます。
この始まり方が重要なのは、物語が最初から「入れ替わりの結果」ではなく、「なぜそうなったのか」という前提を丁寧に置いていることです。偶然の変装ではなく、成長そのものが逆転しているため、のちの恋愛や社会生活に深いねじれが生まれます。
つまり冒頭の段階で、物語の核はすでに示されています。読者はここで、先の展開が単なる笑い話では終わらないことを感じ取れます。
内容は入れ替わった生活が恋愛と出世を通じて破綻へ向かう構成
物語の前半では、女君が男として宮廷社会に入り、男君が女として女性の生活を送るという逆転状態が、ある種の均衡を保ちながら続きます。ところが、恋愛や結婚が現実の問題になるにつれて、その均衡はしだいに崩れていきます。
| 構成の見方 | 内容 |
|---|---|
| 前半 | 男女のきょうだいが逆の性別として育ち、それぞれの立場を生き始めます |
| 中盤 | 女君は男として出仕し、宰相中将との関係を含む恋愛と昇進の世界へ入り込みます |
| 中盤後半 | 男君は女として四の君と結婚し、さらに懐妊をめぐる深刻な問題を抱えます |
| 後半 | 秘密を抱えきれなくなり、入れ替わりの構造そのものが破綻へ向かいます |
| 結末 | 本来の性別へ戻る方向が示され、物語は一定の秩序回復へ向かいます |
この構成の面白さは、読者が最初は入れ替わりの不思議さに引かれ、途中からはその不思議さが生む現実の重さに向き合わされることです。とくに男君の側では、女性として暮らすことが単なる演技では済まず、身体や社会の問題として迫ってきます。
そのため、とりかへばや物語は奇想の物語であると同時に、王朝社会で性別がどれほど制度と結びついていたかを示す物語でもあります。
とりかへばや物語の代表的な場面を三つ見ると物語の緊張がわかる
1.女君が男として宮中へ出仕する場面
どの場面かと言えば、女君が男君として外の社会に入り、公的な場で活動を始める部分です。だれがだれに向けたものかで言えば、周囲は彼女を男性として扱い、恋愛や交際もその前提で進みます。
何を表しているかというと、本来女性である人物が、男性としての能力や魅力を十分に発揮できてしまうことです。作品らしさは、王朝社会で「男の役割」とされていたものが、実は社会的な演出にかなり支えられていると見せるところにあります。
2.男君が女として懐妊する場面
どの文脈かと言えば、入れ替わりがもっとも深刻なかたちで現れる場面です。女として暮らしていた男君が懐妊し、秘密を抱えたまま女性の身体と社会的立場を引き受けざるをえなくなります。だれがだれに向けた愛かというより、愛の結果がそのまま人生の危機になる局面です。
何を表しているかで言えば、性別の入れ替わりが単なる趣向ではなく、身体と制度に直結する問題であることです。作品らしさは、この設定の重さを最後まで逃げずに描くところにあります。
3.秘密が明らかになり本来の性へ戻る方向が示される場面
どの場面かと言えば、長く続いた逆転状態がもはや保てなくなり、きょうだいが本来の立場へ戻る必要に迫られる終盤です。だれがだれに向けたものかで言えば、家や周囲の秩序を立て直すための決断でもあります。
何を表しているかというと、王朝社会では最終的に性別秩序が回復されなければならないことです。作品らしさは、自由な逆転を描きながらも、最後には秩序回復の方向へ向かうところにあります。
読みどころは入れ替わりの面白さより性別の不安定さを描く点

とりかへばや物語の読みどころは、設定の珍しさそのものより、その設定が生み出す不安です。最初は「そんなことがありうるのか」という面白さで読めますが、話が進むと、性別とは何か、身分とは何か、社会は何を根拠に人を判断しているのかが、次々に揺らぎます。
また、この作品は現代的な意味で単純に自由な性の物語として読むだけでは足りません。むしろ、王朝社会の中で人がどれほど役割に縛られていたかを描く作品です。だからこそ、最後に秩序回復へ向かう流れも重要になります。
同じ王朝物語でも、源氏物語が恋愛と身分の機微を深く掘り下げるのに対し、とりかへばや物語はその仕組み自体を逆転させて見せます。王朝物語の型を知っているほど、この作品の大胆さはよく見えてきます。
とりかへばや物語を読む前に押さえたい要点を整理
- とりかへばや物語は平安後期に成立したと考えられる王朝物語です。
- 女の子と男の子のきょうだいが逆の性別として育ち、生きることが物語の核です。
- 現存本文は4巻で、作者は未詳です。
- 女君は宰相中将と関わりながら男として出仕し、男君は四の君との結婚と懐妊の問題を抱えます。
- 前半は入れ替わりの不思議さ、中盤以降は恋愛と身体の問題の深刻さが強まります。
- 王朝社会の性別秩序を内側から揺さぶる点が最大の特徴です。
まとめ
とりかへばや物語は、男女が入れ替わって生きるという大胆な設定を持ちながら、最後には王朝社会の秩序そのものを問い返す物語です。奇抜な話に見えて、その実、恋愛、結婚、出産、出仕といった王朝社会の核心を深く照らしています。
そのため、この作品は単なる異色作ではありません。源氏物語のような王朝物語の伝統を知ったうえで読むと、平安文学がどこまで制度や性別の問題を扱えたのかがよくわかります。
さらに、現存本の背後には散逸した「古本」があったと考えられており、今ある本文もまた、読み継がれ改作されるだけの強い魅力を持っていたことがわかります。王朝物語の中でも、とくに構造の大胆さが光る一作です。
参考文献
- 大槻修校注『新日本古典文学大系 とりかへばや物語』岩波書店
- 『日本古典文学大辞典』岩波書店
- 『日本大百科全書』小学館
- 『国史大辞典』吉川弘文館
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この記事を書いた人
運営者の杉本 洋平です。大学で日本文学を専攻し、卒業後も古典文学の一次資料や研究書を参照しながら独学を続けています。「作品名は知っているけれど中身がわからない」という入口の壁をなくしたくて、このサイトを立ち上げました。
大切にしていること
- まず全体像から:作品名だけで終わらず、内容・作者・時代・冒頭を最初に整理します。
- 初見でも読みやすく:古典文学が苦手な方でも入りやすいよう、難しい言い回しをできるだけ避けます。
- 作品ごとの違いを大切に:物語、随筆、日記、歌集、紀行文など、それぞれに合った切り口で説明します。
- 混同しやすい点を整理:作者・編者・撰者の違いや、成立時期、似た作品名などをできるだけわかりやすく区別します。
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