古本説話集は、平安時代後期に成立したと考えられる説話集です。編者も本来の書名もわかっておらず、現在は唯一伝わった古い写本にもとづいて「古本説話集」と呼ばれています。
この作品のおもしろさは、上巻と下巻で性格がかなり異なることです。上巻は和歌をともなう王朝的な世俗説話が並び、下巻は観音霊験譚を中心とする仏教説話が続きます。つまり、宮廷文化の情趣と、信仰をめぐる話が、一つの説話集の中で接しているのです。
しかも古本説話集は、長く埋もれていて近代になってから学界に知られた作品でもあります。今昔物語集や宇治拾遺物語のような有名説話集に比べれば知名度は高くありませんが、むしろそのぶん、王朝説話がどう語られていたかを新鮮に見せてくれる資料として重要です。
ここでは、成立、構成、冒頭、代表的な説話、読みどころを順に整理します。
古本説話集は和歌説話と仏教説話をあわせ持つ二巻の説話集
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 作品名 | 古本説話集 |
| ジャンル | 説話集 |
| 編者 | 未詳 |
| 成立時期 | 平安時代後期、1126年から1201年のあいだに成立したとする説が有力です |
| 巻数 | 2巻 |
| 話数 | 上巻46話・下巻24話、計70話 |
| 上巻の内容 | 本朝世俗説話で、和歌を含む話が中心です |
| 下巻の内容 | 天竺説話3話と日本の仏教説話21話です |
| 大きな特徴 | 王朝の情趣ある和歌説話と観音霊験譚が一つの集に同居する点 |
古本説話集をひとことで言えば、王朝文化のやわらかい物語性と、仏教説話の信仰世界が一冊の中でつながる説話集です。上巻では和歌をめぐる話が目立ち、下巻では霊験譚が増えます。
この二つが並んでいるため、作品全体の印象も単調ではありません。恋、才気、機知、美意識を感じる話がある一方で、観音の救済や信仰の力を語る話もあります。説話集としての幅の広さが、古本説話集の第一の魅力です。
古本説話集の編者や本来の書名は不明
古本説話集は、編者がわかっていません。表紙が失われ、内題や外題もないため、もともと何という書名で伝わっていたのかも未詳です。現在の「古本説話集」という呼び名は、近代に学界へ紹介されたときの仮の名称が定着したものです。
このため、作者の思想や個人性から作品を読むのではなく、本文そのものの文体や説話の選び方から性格を考える必要があります。王朝物語に近い和文の流れを持ちながら、説話集として編集されているところに、独特の中間性があります。
また、編者不明でありながら、選ばれた話の傾向はかなりはっきりしています。上巻では和歌と宮廷文化への関心が濃く、下巻では観音霊験を中心に仏教的な方向へ重心が移ります。この配列だけでも、ただ寄せ集めた本ではないことがわかります。
古本説話集が生まれた背景には王朝説話から中世説話への移り変わりが影響
古本説話集が成立したと考えられる平安後期は、王朝文化がまだ強く生きていながら、同時に説話文学の世界が大きく広がっていく時期でもありました。宮廷の恋や和歌をめぐる話だけでなく、信仰や霊験の話が人びとの関心を集めるようになります。
この作品は、そうした移り変わりをよく示しています。上巻だけを読めば、和歌説話や王朝物語に近い空気が濃く、下巻へ進むと仏教説話集に近い顔つきになります。つまり、平安貴族の美意識と中世的な宗教意識が、同じ本の中で接しているのです。
そのため古本説話集は、今昔物語集や宇治拾遺物語のような大規模な説話集へつながる流れを考えるうえでも重要です。より大きな説話文学の中で、王朝的な美しさがまだ強く残る段階を見せてくれます。
古本説話集の冒頭は大斎院の事から始まり上巻の王朝的な性格を示す

古本説話集には、随筆のように有名な冒頭文が独立して知られているわけではありません。けれども、上巻の第一話として置かれているのは「大斎院の事」で、冒頭から王朝人をめぐる和歌説話の世界へ入っていきます。
ここで大事なのは、最初の段階からすでに「和歌を含む世俗説話」が前面に出ていることです。つまり、この作品は最初から仏教説話集として始まるのではなく、宮廷文化の人物や感情を和歌とともに語る本として開かれます。
この構えによって、読者は古本説話集を、まず人の情趣や機知を味わう説話集として受け取ります。下巻で仏教色が強まるぶん、冒頭の世俗的な空気はいっそう印象に残ります。
古本説話集の内容は上巻の和歌説話と下巻の観音霊験譚で大きく分かれる
古本説話集の内容は、はっきり二つに分かれます。
上巻は王朝人を中心とした和歌説話、下巻は仏教説話です。この差があるため、一冊の中で読後感が変わっていきます。
| 見るポイント | 内容 |
|---|---|
| 上巻 | 和泉式部・清少納言・紀貫之・藤原公任なども登場する和歌説話です |
| 下巻 | 観音の霊験を中心とする仏教説話が多くを占めます |
| 文体 | 王朝物語に近い和文脈で、簡潔でも情趣があります |
| 説話の質 | 短い和歌説話から、比較的長めの叙述を持つ話まで幅があります |
| 資料的価値 | 散逸した説話世界や、今昔物語集・宇治拾遺物語と共通する話を考える材料になります |
上巻では、詞書と和歌だけで成り立つような短い話もあれば、王朝人の感情や場面をやや長めに語る話もあります。
下巻では、信仰や霊験が軸になるため、同じ説話でも重心が変わります。
| 比較軸 | 古本説話集 | 今昔物語集 |
|---|---|---|
| 規模 | 2巻・70話 | 31巻・1000話超 |
| 文体 | 王朝物語に近い和文 | 漢文訓読に近い文体 |
| 重心 | 和歌・王朝情趣と信仰の接点 | 仏教説話・世俗説話の大規模集積 |
| 特徴 | 情趣と信仰の中間を見せる | 多様な階層と地域を広くカバーする |
この構成の面白さは、説話が「おもしろい話」で終わらず、時代の美意識や信仰の変化まで感じさせるところにあります。
王朝文学から中世説話へ移る途中の姿が、そのまま作品の構成に出ているのです。
古本説話集の代表的な説話を三つ見ると作品の幅がよくわかる
1.第六話 帥宮、和泉式部に通ひ給ふ事
どの場面かと言えば、帥宮と和泉式部の恋愛をめぐって和歌がやり取りされる上巻の説話です。だれがだれに向けたものかがはっきりしており、宮廷の恋が和歌によって進む王朝的な世界が見えます。
何を表しているかで言えば、和泉式部が感情の激しさだけでなく、ことばの応酬の中で才気を発揮する存在として語られていることです。古本説話集らしさは、恋愛そのものよりも、恋が和歌によって物語になるところにあります。
2.第十二話 清少納言の事
どの文脈かと言えば、清少納言の機知や受け答えの才が印象づけられる説話です。だれがだれに向けた話かというより、読者に「王朝人はどういうことばの冴えを尊んだか」を見せる形で語られます。
何を表しているかで言えば、宮廷社会では行動だけでなく、ことばの選び方そのものが人物の価値になっていたことです。作品らしさは、人物評を長く述べるのではなく、短い逸話の中で清少納言らしさを立ち上げるところにあります。
3.観音の霊験を語る下巻の仏教説話
どの場面かと言えば、危機や願いの中で観音の救済が現れる話です。だれがだれに向けたものかは話によって異なりますが、僧俗を問わず救済が及ぶことが示されます。
何を表しているかで言えば、王朝的な情趣の世界の外に、すでに強い信仰の文学が育っていたことです。古本説話集らしさは、和歌説話の優美さを保ったまま、後半で霊験譚へ滑らかに移っていくところにあります。
古本説話集の読みどころは王朝の情趣と仏教説話が同じ本に同居する点

古本説話集のいちばんの読みどころは、上巻と下巻のあいだにある落差です。上巻では宮廷文化の余韻が濃く、下巻では信仰や救済が前に出ます。この切り替わりによって、作品全体が単なる和歌説話集でも、単なる仏教説話集でもないことがよくわかります。
また、文体が王朝物語に近いことも大切です。今昔物語集のように話の量と多様性で圧倒するのではなく、古本説話集はもっとやわらかく、情趣を含んだ語り方をします。そのため、説話文学でありながら、物語文学に近い読み心地があります。
さらに、この作品は唯一の伝本で長く埋もれていたため、かえって説話文学史の「空白」を埋める存在にもなっています。散逸してしまった多くの説話世界を想像するうえで、残っていること自体に大きな意味があります。
古本説話集を読む前に押さえたい要点を整理
- 古本説話集は平安後期に成立したと考えられる二巻の説話集です。
- 編者も本来の書名も未詳で、現在の名称は近代以後に定着した呼び名です。
- 上巻46話は和歌を含む世俗説話、下巻24話は天竺説話と仏教説話で構成されます。
- 冒頭の第一話は大斎院の事で、最初から王朝的な和歌説話として始まります。
- 和泉式部・清少納言・藤原公任など王朝人の説話を多く含みます。
- 王朝的な情趣と中世説話的な信仰が交わる点が大きな特徴です。
まとめ
古本説話集は、和歌をともなう王朝的な世俗説話と、観音霊験を中心とする仏教説話を一つに収めた、独特の説話集です。上巻と下巻の性格が大きく違うからこそ、平安後期の文学がどこからどこへ向かおうとしていたかがよく見えます。
また、今昔物語集のような大規模な説話集に比べると、古本説話集はもっと小さく、もっと王朝的な情趣を濃く残しています。そのぶん、和歌・機知・恋・信仰がまだ一冊の中で自然につながっていた段階を知るにはとても向いています。
唯一の伝本によって残ったこの作品は、説話文学の空白を埋める貴重な入口でもあります。
参考文献
- 川口久雄校註『古本説話集』朝日新聞社
- 高橋貢『古本説話集全註解』有精堂出版
- 『日本古典文学大辞典』岩波書店
- 『国史大辞典』吉川弘文館
関連記事





この記事を書いた人
運営者の杉本 洋平です。大学で日本文学を専攻し、卒業後も古典文学の一次資料や研究書を参照しながら独学を続けています。「作品名は知っているけれど中身がわからない」という入口の壁をなくしたくて、このサイトを立ち上げました。
大切にしていること
- まず全体像から:作品名だけで終わらず、内容・作者・時代・冒頭を最初に整理します。
- 初見でも読みやすく:古典文学が苦手な方でも入りやすいよう、難しい言い回しをできるだけ避けます。
- 作品ごとの違いを大切に:物語、随筆、日記、歌集、紀行文など、それぞれに合った切り口で説明します。
- 混同しやすい点を整理:作者・編者・撰者の違いや、成立時期、似た作品名などをできるだけわかりやすく区別します。
情報の作り方
記事は、岩波文庫・日本古典文学全集などの原典・注釈書、および文化庁をはじめとする公的機関の公開資料を参照しながら編集しています。通説として定着している解釈を中心に取り上げ、解釈が分かれる箇所は「〜と考えられる」など断定を避けた表現を用いています。引用がある場合は範囲を明確にし、出典を示します。
執筆方針の詳細は編集方針をご覧ください。
内容の誤りや改善点のご指摘は、お問合せフォームよりお知らせください。確認のうえ、必要に応じて修正いたします。

